水瓶座が導く時代と舞台芸術


先日、久しぶりにテレビでバレエを観た。

それは、たまたまテレビ欄を見ていた時に見つけた感じで
しかも一度観てみたいと思ってたダンサーの方も出演してる舞台。

思わず、ラッキー!と言葉が出てきたほど
それは唐突で、でも何かこのタイミングには必然だったような!

ちょっと不思議で、素晴らしい機会だった。


パッと思い出して、これまで観てきた舞台で
一つ印象深かった作品に「ボレロ」がある。

何度か観たことがある作品なのだけど、
その中でも印象深かったものが特に、
屋外の舞台で上演されたもの。

陽が沈みゆくような時間帯に、どんどんと舞台は夜に包まれ、
気づいた頃には夜景が舞台セットとして輝いていた。

夏の夜とその夜景と、屋外で感じる夏の温度と風と。

その、全てがその空間を創っていて、
それ以前に劇場で観た「ボレロ」とは全く違う印象を受けるほどだった。

舞台芸術の素晴らしさの一つは、
やっぱり「その場」で感じる体感がある。

その時観た「ボレロ」
私はその時、まるで「儀式」に立ち合ってる気持ちになっていた。


2020年。
世界が大きく揺れて、
どれくらい多くの「その場」が奪われていったんだろう。

それは想像するだけでも、胸がキュッとなってしまうのだけれど。

それでもあの年、星たちの導きは確かに、
新しい可能性へと、個々が、社会が、
幕を開ける準備をすることを促して響いてた。

そうするしかなかった、としても
社会の中で一気にオンラインが広がって
それは宇宙の流れにはとても似合う出来事だった。


あの年、私はそれまで以上に、
ダンサーやバレエ団のインスタを見るようになった。

自宅待機のダンサーの方々が
自宅でレッスンをする姿をインスタに投稿してくれたり。

踊りだけでなく、お話の配信も…
ずっとたくさん目にする機会が増えた気がした。

無観客上演の映像配信なども!
これまで観たことがない作品を自宅のパソコンから観る事ができた。

無観客、たった一度きりの上演。

でも一度に劇場におさまらないほどの人たちが、
そのたった一度の配信でその作品を観ていたらしい。

舞台を創り出す…
劇場、照明、音響、たくさんの裏で支えるエネルギーを考えても、

水瓶座が導いてくれた、場所や時間などに囚われない新しい可能性って
やっぱり無視できないなと感じてた。

もちろん、さっき書いたように、
「その場」の体感を味わう素晴らしさに、
そこへの気持ちの変化はないのだけれど

個人的にはあの年、
また舞台芸術に、でも気持ちはまた新たに、楽しんでいきたい。

そんな小さな想いが芽生えた。


その後だ、すっかり忘れていた大切な過去を思い出したのは。


私が大学で舞台芸術を専攻して、
卒論に選んだテーマがまさに、放送と舞台芸術と…
そんなテーマだった!

思い出して慌てて探してみたけれど、
そのたった一つしかない大事なものはこの家のどこにも姿がなく。

万が一、実家になければ、もう読み返すことはできないのだけれど。


卒論を書くにあたっての資料として、
国立図書館だったと思うのだけれど、

過去にテレビで放送された舞台芸術と、その頻度みたいなことを
調べた記憶は確かに残ってる。

舞台芸術の「その場」の素晴らしさ。

それを伝える方法としての、映像のありがたさ。
記録として残していく映像のありがたさ。

もう「その場」では観ることのできない伝説のようなダンサー
例えばそういうものを観ることができるのは

当時、いちよ舞台芸術を専攻していた者にとっては
ほんとうにありがたく貴重な資料だった。


そして時を経て。

インスタでの例えばダンサーが個人的に発信するその姿などは、
なんだかとっても、その人となりが知れたりして!

新しい「その場」への招待状になってる気がしてならない。

舞台芸術というカテゴリに囚われることなく、
「その人の表現」が好き!

そんなふうにして、これからは
新たに、時に「その場」も、時に「画面越し」にも

舞台芸術も進化していくのかもしれない。


星たちの響きと合わせても、
それはきっと可能性が開かれた方へ進んでるとしか思えず。

2020年という時を超えて、
そして来春からの水瓶座冥王星時代からますます

舞台芸術はきっと
これまでにないほどに魅力的にこの地上に
彩を与えてくれるものになっていく。





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