人生があと1日だったら何をする?
もう…8年くらい前のこと。
ある人から、タイトルのような問いをもらったことがある。
きっと後からその問いに想い巡らせると、それはどういう意味か?
もっと詳しく聞きたくなるのだけれど…
例えば、自分だけ病気かなにかで最後の日を迎えるのか?
それとも、みんなも最後の日なのか?
それによっても応えが違ってくるかもなってこと。
それでもその問いに、
「舞台を観にいくかな」
私はそんなシーンを最後に選んでた、反射的に。
「ずいぶん具体的な応えだね」
ある人のその言葉がずっと私の中に残っていて、
だから今でもこうして時々そのことを思い出す。
その頃の私は星読みをお供に、
自分の人生どうなってるんだ⁈
人生という旅の謎解きをしていた感じだった。
それはそれでとてもエキサイティングで心惹かれるもので、
だけれどその問いへの応えが教えてくれたことは、
それが人生の真の目的ではないってことだった。
真の目的って?
なんて問い出すと、また長くなりそうなのでここでは流すけれど、
なんとなく、感覚的に…なんていうか、
それでは人生を終われない、みたいな感覚。
お空に還ってしまったらきっと思い出す。
すべての謎を。
というか、そんなことさえ還ったらどうでも良いことなのかもしれないな。
この地上に来た理由。
この肉体で生きてる理由。
その、シンプルに確かな理由の一つは、
この地上で、この肉体で体験できることをする。
この肉体の感覚すべてで味わうこと。
私が、大学の専攻にまで選んだ舞台芸術。
生きていく中で、人間社会できっと、絶対必要とは言えない類のもの。
それに携わり続けること、それに触れ続けることも、
そこにはやっぱり現実的な余裕も必要だし、
加えて心の…余裕というのか、心の動きに素直に反応している、
なにかこう…人間社会に囚われきれていない、空白のような!
そんな心もちがきっと必要で。
でもほんとうは、そう在れることが、
真に自分を生きる歓びという存在状態にも繋がっている気がして。
だから、最後の日。
この地球を、この肉体を、堪能し切った!
そう確認するには、このうえない体験だと、
8年前のあの日の私は、きっと、無意識に知っていたのかもしれない。
8年くらいたぶん経つのだけれど、このことに想い巡らせる度、
とてもシンプルに自分の心の動きを再確認することができる。
そう、その問いのシーンの翌年になると思う。
探求していくうちに見つけた私の真実…
私たちは、宇宙にいる時、
みんなおんなじで完璧な存在で。
でもそれはちょっと退屈だったから!
ここに、手分けをして遊びに来てる。
だから。
今日という一日いちにちを、
自分の感覚総動員して肉体と共に体感していく。
そんな歓びに生きられたなら、
きっと人生は大成功なんだと思う。
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