宇宙のリズムで本来の自分を思い出す
私が星の世界に足を踏み入れたのは
子育て真っ最中の時期でした
どこでボタンを掛け違えてしまったんだろう…
そんな感覚に似たもどかしさ、しんどさの中
子どもの頃から好きで親しんできた星の世界に
ボタンの掛け違えの答えを探しに入っていきました
まずは自分のホロスコープを読むことと
もうひとつやり始めたことが、
新月の願い事と月日記
新月の願い事は…
まるで藁にもすがる想いだったのかも
本やネットの情報を頼りに
毎月ノートに書いていた時期があります
今がしんどいから
今を抜け出してハッピーになれるように
でもそれはいま振り返ってみても
あまり効果のあるものではなかった
それ自体を否定しているわけではなくてね
当時の私の崩れた心を救ってくれる答えでは
なかったという意味
当時の私の心のモヤは
優雅に自由に生きるお金が手に入れば解決
というものではなかったし
子育てをひととき離れてひとりになれる時間か
手伝ってくれる人がいれば解決ということでもなくて
だから願い事が何か叶えば抜けられるトンネルではなく
それは後から考えれば、
私の星のシナリオ
あの時、
ネガティブな想いがきっかけではあったけれど
星の世界に入ったことはシナリオ通りだった
そこで星を頼りにして
本来の自分を思い出していくこと
それが私の、今回の人生シナリオの目的だったから。
そうそれで話を戻して
当時始めたもう一つの月日記
それは日々巡りくる月星座などと
その日の自分の心や身体のことなどを記録していくもので
誰の情報を頼りにしたわけでもなく
私自身が始めたもので、しばらく続けていたんです
そこに特別何かを期待して始めたわけでもなく
もともと日記はよく書いていたのでその延長
そうして続けていきながら、ある時からふと
そこにある法則が生まれていることに気づいた
一番顕著だったのが、
獅子座の月の日になると決まってイライラしていたことに
これは獅子座のエネルギーによるものも
あったかもしれないけれど
当時の気づきとしては、
自分の月星座の日になるとイライラする!
というものでした
自分のホロスコープも読んでいて
でも当時は自分の月星座がイキイキと感じられない
という感覚を得ていたので
その月日記と合わせての気づきは、
月が担当しているベースの部分がこじれている
潜在意識、幼少期、インナーチャイルド、心、身体…
そういう人生シナリオのベースになる部分が
本来の健やかさを保ってないんだ
それが巡りくる月をトリガーにして
溢れてきてしまっている
だとすれば?
その当時の気づきから私の中に芽生えた発想は
逆にあらかじめ、巡りくる月星座に同調してみれば
本来のベースに戻っていけるんじゃないかな
そんなことを思ったんです
それは、藁にもすがった新月の願い事の時とは
また別の視点でのもの
何かを叶えるためではなくて
そもそも本来の…
そう
ボタンを掛け違えてしまう前の自分に戻る
宇宙のリズムに同調することで
そうした時に、
自分自身のホロスコープから感じられる自分を
生きられるんじゃないか
というのも
私は自分のホロスコープを読んだ時に感じたのが
こんな自分だったら素敵だな
というものだったから
それは当時、もどかしく、
しんどく毎日を生きている自分とは
まるで別人に感じられたから
こうして文章にしてみれば
1ページにまとめられてしまうような体験だけれど
そこに至るのは一瞬ではなくて
じわじわと日々の体験をしながらの気づき
そうして少しずつ
巡りくる星の響き…特に月星座に自分を同調させることで
心を動かし、身体を動かし
溜まった感情を解放し
心の奥底から望みを見つけ
…
何年もの間ずっと、自分と向き合うことをしたんです
そうするほどに
どんどんと軽くなっていく自分がいて
でも同時に、うんざりするほどに
自分のものだけではないあらゆる囚われに
自分がつかまっていることに気づいて
それはまるで玉ねぎの皮を剥くようで
これで終わりだろうと思ってもまだまだある
そんなじかんがしばらく続いていきました
現実的に何か願いを達成するためのものではなく
それは魂という存在…本来の自分との繋がりを思い出す
この現実社会ではなんの得にもならないようなこと
それでもその導きに歩き続けた結果
子どもの頃からずっと自分の内にあった
人生への問いの応えと
この自分を生きられる歓びに出逢えることになります
そしてまたそれまでのプロセスが
私自身が選んだ星のシナリオに導かれたものだったこと
人生のシナリオは自作自演だという気づきにも。
自分が生まれた瞬間の
まるで魂の想いをうつしたそのホロスコープを目指して
日々巡りくる宇宙のリズムに同調して生きる
それはまるで目的地への道しるべ、地図のよう
そうして進むと
自分自身が選んだ人生のシナリオに生きる歓びに生きる
自分に辿り着く
その歓びは、
何か現実的なとりあえずの願いを叶えた時のものとは違う
自分自身と出逢えたという深い歓び
この肉体で生きること自体の深い歓び
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